「 E R I C A 」
頭に血が上る。
その体験は十分に学生時代体験していたが、
まさか、教師になってまで体験するとは思っていなかった。
目前の少女はまだ笑っていた。
段々と笑い声が大きく下品になっている気がする。
失態だ。
腕の傷の出血多量で気絶するということより
こちらのほうが自分を許せない失態だと思った。
まだ、幼さの残る少女に、こともあろうに大人の自分が、
セブルス・スネイプが遊ばれた。
脳には警告が鳴り響いている。
早くいつもの自分を取り戻さなければならない。
冷静に、だ。
自分に言い聞かせ罰を与えてやろうと
少女のほうへと、顔をあげたがそこにはもういなく、
後方でカチカチとガラスの擦れる音が聞こえた。
音のするほうを見れば
少女が医務室の棚を勝手にあさっていた。
「スネイプ教授。その腕の傷どうしたんですか?」
私の視線に気づいたのか、こちらを見ずにまだなにかを探して、
少女は先ほどまで笑っていたとは思えないほど抑揚のない声で言う。
「貴様に答える必要はない。」
普段なら、一般の生徒はその冷徹な声に体を縮ませ震えるものだが、
彼女は縮ませるどころか、探しながらまた笑い出した。
そこで、今更ながら彼女にまだ罰を与えていないことに気づいた。
「貴様、何処の寮だ。」
もし、万が一己の寮だとしても、手加減はするつもりは毛頭なかった。
骨の髄まで搾り取ってもうこいつが笑えなくなるくらいまでにして、出て行ってもらう。
そう思うと自然と口が緩むのが感じられた。
「さぁ?何処の寮だと思いますか?
それより、普通は寮より先に名前聞くと思うんですが。
スネイプ教授は私の名前、ごぞんぢじゃないのでしょ?」
棚から探し物が見つかったのか、
一つの紫色をしたラベルが貼ってある茶色の小ビンを取り出しながら、
彼女はこちらを見ないでやはり抑揚のない声でゆっくりとそう言った。
彼女の、さも自分とまるで同等のように口にする言葉も
こちらを見ようともしないふてぶてしい態度にも腹が立った。
ピクリとスネイプのこめかみに青筋が一本立つ。
「貴様の名前などどうでもいい。貴様は我輩の質問に答えればいい。」
「 ・。」
老婆の様に非常にゆっくりと、顔だけを振り向かせた
彼女から発せられた言葉は己の望むものでは到底なく、
しかし鼠色の瞳はまるでこちらを射抜くように見つめてきていた。
その瞳の真剣みに反して唇はゆるりと孤を描く。
白魚のようになめらかに根元から指の先頭に行くほど形よく細くなっている指の人差し指を口元へと運ぶ。
そのまま赤い赤い舌でぺろりとその指先へと舐め、手入れの届いていない長い爪先をかりっと噛んだ。
その様は、実に妖美でまるで熟した女が発する色香に満ちていた。
「我輩の質問に答えればいいと我輩は言ったのだが。どこの寮だ。」
少女の行動に内心戸惑いながらも、再度同じ事を問う。
しかし、少女はもうその問いには答える気などないというように、
こちらには目もくれずに、丹念に手首を舐めていた。
先程は熟女のように思えてならなかった少女の行動は、今は猫のようにも見える。
数秒同じ動きを少女はすると、満足したのか手首からを唇を放す。
血を舐めていたせいか、少女の唇は先程よりも赤く感じられた。
そういえばアイツは怪我をしていたな。
今更ながらにセブルスは気づく。
ホグワーツの教員としてするべき行動はまず少女を止血をすることだったのだろう。
セブルスは少女に傷跡を見せるようにと口を開けたが、それは音をなさなかった。
ととん、とリズムよく床の鳴る音が聞こえると共に、
下を向いていた腕を上へと持ち上げられる。
少女がその茶色の小瓶から無色透明な液体を腕へと垂らした。
微かな痺れを頭が感じる。
「なにを、」
「毒液。」
口元にほんの少しの吊り上げ少女は言った。
セブルスの腕は、傷口から紫色をした泡が出始める。
それを、少女は爪先で撫でるように潰した。
潰しても潰しても泡は消えることなく沸いて出てくる。
それでも、根気良く少女は何度もセブルスの肌を撫でた。
「やめろ、」
少女がその紫色の泡にゆっくりと唇を近づけた瞬間
セブルスの脳は一瞬にしてクリアになった。
荒々しく腕を振り少女の唇から遠ざける。
もう、何から問いただせばいいのか、どう少女に対処すればいいのかわからなかった。
少女の行動は何から何まで不可解でセブルスの理解の限度を軽く超えてしまっている。
「先生。」
少女の口から出るその単語はなんと意味を持っていないのだろう。
少女から滑らかに出てくるその単語からは尊敬も畏敬も何の感情も入っていないように感じられた。
ただ、言葉を喋っている。
ただ、音を出している。そんな感じだった。
自分に向けられた呼称を呼ばれたはずなのに、
まるで、セブルス・スネイプという人間を空気のように扱っているようだった。
自分のことを呼ばれた感じがしなく、何の反応もしないまま呆けながら少女を見てしまう。
「先生、」
少女の唇が動く。
ゆっくりと、時間の流れがまるでフィルムの細切れのように流れていた。
少女が耳元で何かを囁いたかと思い、それを脳で理解するまでに至った時間、
ほんの数秒の間。後ろを振り向くと少女は医薬室からもう消えていた。
腕を見やれば血液は流れておらず、先ほど少女は薬をこの腕に塗っていたのだと思い知る。
ぽたり、と腕から一粒雫が垂れ落ちてゆくのをセブルスはぼんやりと見ていた。