「 ジ レ ン マ 」




寒い。



寒い。



寒い。



毛布を手繰り寄せたが全身の凍えは拭えず、身体を丸めてすっぽりと頭まで毛布を被る。
それでも、歯は相変わらずカタカタと歯軋りを鳴らし、皮膚にはじわりと冷や汗が出、身体の冷たさは変わらなかった。
静かにしなくちゃ。
もし、伯父が起きたら、もし叔母が起きたら・・・従兄弟が起きてしまったらどうしよう。
歯軋りの音で起きるはずもないが、ハリーの思考はその事でいっぱいだった。
人差し指を堪らずに噛む。



階段下のハリーの部屋は、細長く小さな窓が一つしかなく
その窓も北に位置している事から全くといっていい程、陽が入らなかった。
それ故に、いつも部屋はひんやりと冷えていたが、
夜だからといい、夏の中でも酷暑に入っている今は、気温は下がっておらず、
むしろ居心地のいい温度のはずだった。


目尻に自然と泪が溜まる。


夏休みに入ってからというものハリーは眠れぬ夜を過ごしていた。
夜になると躯の震えが止まらず、眠らなきゃと思うと余計に目が冴えた。


震えの正体


原因


ハリーはそれが何か知っている。


恐怖。


また、前みたいな事をされるのではないかという限りのない恐怖が
ハリーを眠らせないでいた。


夜はしんしんと深けり、あたりはとても静かだった。
その中ハリーの荒く短い吐息だけが聞こえる。


前はいつも同じ曜日時刻にあいつが来ていた。
今日は来る日。
金曜日の夜中2時。
時間まで後1時間はあるだろうか?


それとも、もう30分前ぐらいだろうか?


ハリーの部屋には時計が一つもなく、
頼りの錆びれた腕時計も指針は6時を指したまま微動だにしない。


もっとも、動いていても見る気には到底ならなかったであろうが。


ガタ。


ハリーの部屋の上から発せられた音と共に、
まるで、屋根が重圧に耐えられないかと叫ぶかのように、軋み埃が落ちてくる。

その音は規則正しく、ガタっと鳴るたびにハリーは震え上がった。
毛布をさらに頭の上まで被せ、まるでひきつけを起こしたかのように、
無意味な言葉にならない音をその口から発せる。
呼吸が苦しい。
たまらず布団の裾をがっちりと握っていた手を今度はシャツのちょうど胸辺りに置き、
シャツを皺になるまでぎゅっと握る。
鼓動は一秒一秒速く強く動き、このままオーバーヒートしてしまうのではないかと思うほどだった。

しかし、扉の前にあいつが来たことを悟ると、
その震えもひきつけもあんなに速く鼓動していた心臓も、
何もかもが元へと戻り、通常の機能へと働く。
先程とは反して、鼓動はいつも以上にゆっくりと動き、
このまま止まってしまうのではないかと思わせるくらいだった。


見えるわけはないのに、扉の向こうであいつが笑っている。
確証はないが確かなこと。
まず、意味もなく幼児が横断歩道でそうするように右左右を確認し、
誰も居ないことに、またその顔へと下品な笑みを浮かべる。
そのままノブに手を掛け慎重に開けようとしている。
今。
そう思うと同時に、カチリと何かが填まった音がする。
その後木と木が擦れる音がして。


幼いときから、赤ん坊だったときから一緒だった。
一緒に暮らした。
同じ空間を12年間一緒に生きていた。
本来の従兄弟同士の関係では到底ありえなかったが、
あいつが何をするかぐらいは手に取るかのようにわかるようになるくらいは一緒に過ごしていた。
同じ年で同じ男として生まれたから。
もしかしたら叔母よりもあいつの事を理解しているのは自分かもしれないと思うくらい
理解しているつもりだった。


だから


この後の展開も想像することは容易で。
なぜ、この部屋に来たかなんて当たり前過ぎる問いは出てこなかった。
ただ布団から出て、暗闇の中に居る人物へと目を合わせる。
それだけ。

見詰め合ったまま数分が経ったかのように思えた。
しかし、実際は数秒しか経っていないのだろう。
従兄弟はそんなに我慢強い性格ではない。
頭でわかっていても、しかしやはり数分は経っているように感じられた。
従兄弟がこちらへとちゃんと視線を交わしていることは初めてだから。
認められたわけでもないし、認めて欲しいと願ったわけでもないが、
この後にされる行為がわかっていながら、その視線が心地よいと感じてしまう。

「ハリー。」


低く唸るように喉から搾り出された声。
まるで、飢えた肉食獣のようだとハリーは思った。
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